RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

11
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--

尾花沢市歴史散歩の会

URLは
http://basho-okunohosomichi.net
<< 2010年10月30日「おくのほそ道」シンポジュウム | main | 早稲田大学の堀切教室の方々を案内しました。 >>
第23回奥の細道 松島サミット
 



第23回奥の細道松島サミットが11月4日(木)、宮城県松島町ホテル大観荘で開かれた。基調講演やパネルディスカッションを通して松尾芭蕉が引き付けられた松島や、松尾芭蕉が歩いた「おくのほそ道」の魅力ある旅について理解を深めた。

講師は「おくのほそ道」研究会座長の梅津保一氏が基調講演を行い、芭蕉は『おくのほそ道』の発端に「松島の月まづ心にかかりて…」と、旅の支度を整えている最中、何を差し置いても真っ先に心に浮かぶのは「松島の月」であると書いています。芭蕉は松島の雄島の月を見たかったのです。雄島は「待つ島」、月を待つ島、お迎えを待つ島です。お迎えを待つ島というのは、雄島がみちのくの名高い霊場だったからです。内海に多数の島々を浮かべる松島のような景勝地は、古来より極楽浄土のイメージに重ねて見られました。松島の中心的な位置を占める雄島は、この世とあの世の境です。遺骨が納められ、死者の魂が安らかに眠り、その遺族が集い、人々が極楽往生を願う場所でした。極楽浄土に一番近い島で、極楽浄土へのお迎えを待つのです。そのような霊場の風景は「奥の高野」と称されて、近世まで色濃く残されていました。

『撰集抄』の中に、厳しい修行をする見仏上人の徳を慕って、西行が松島を訪ねる話があります。芭蕉もそのことを踏まえ、見仏上人の面影を求めたのでしょう。極楽浄土に一番近い絶景の島で、松の葉蔭から上がってくる月を待つのは、仏さまの来迎を待つことで、松島といえば月といわれるようになったのです、と解説した。

パネルディスカッションは、蠹賈銘楼茣超研究室代表志賀秀一氏が司会を、(有)ダハプランニングワークス代表取締役吉川由美氏、山形県最上町交流促進課交流観光係長伊藤和久氏、㈳松島観光協会会長佐藤久一朗氏の3人がパネリストを務めた。

吉川氏は、インターネットやテレビで世界の風景を見ることのできる時代なので、むしろ普段着で旅人を迎えることがこれからの旅だと持論を述べた。

伊藤氏は、外国からの旅人が飛躍的に増えている、最上町では世界ハイク大会をとおして小さい町なりにアピールしたい、できることをしてあげるとよい旅が作れると述べた。

松島町の佐藤氏は、作家の森村誠一氏がいわれた「ゴミがない観光地」を守り、好評の「かき小屋」でおいしい物を食べてもらい、おもてなしの心を大切にしたいと述べた。

志賀氏は、山寺の歴史をガイドするより、石段に耳を近づけると芭蕉の足音が聞こえる、といった案内のやり方を模索する時代であると述べ、テーマ「芭蕉の足音に耳を澄ませよう」のパネルディスカッションをまとめた。

| - | 11:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









http://blog.basho-okunohosomichi.net/trackback/49